メンターの考え方
以前、メンターについて語っただろう。
メンターはあらゆる場所に存在する。
ボクにとっては”師”を表す。
だが、これについて違った視点を持った人もいる。
それはそれでいい。
それを大切にするべきだ。
人の考えは自由だ。
人をいじめたり殺さなければ、なんでもいい。
(ボクはいじめを人殺しと定義している)
メンターは絶対的、味方であり、肯定的な味方ができる人でなくてはならない。
この立場だけははっきり定義しておくと同時に差別化ができるからだ。
”師”を表す言葉で、英語圏で多いのがマスターが非常に多い。
だが、マスターは原義をたどれば絶対的存在である。
そして、空手や柔道の師範代や領主がこれに当たるので、言わば、支配者なのだ。
つまり、”主従の関係”を結ばなくてはならない。
時代は鎌倉時代と戻ってしまう。
ボクは”主従の関係”を嫌うのもあるから、メンターという概念を用いている。
また、メンターの方が組織を動かす時に大きなメリットがあるとも考えている。
マスターは権力的になるが、メンターは対等な人間関係を築くことができる。
マスターはスター・ウォーズだけで十分である。
(でも、実際の役割は師の扱いはメンターであるので、意味を理解すればここの大切さがわかる。
わかりやすく、マスターを利用している。)
人権差別をなくすのであれば、メンタリング・マネジメントを採用するのが当たり前であるが、
ボクはこれが一番いいと思っているがまだ落とし穴に気づけていない部分もある。
だから、これだけで進めよとは言っていない。
守ることではなく、本当に改良の余地というものは必然とあると考えているからだ。