生きる時間

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生きる時間

自分がこれに感じるのは幼少期からだろう。

恐れともなく、自分は50ぐらいまでしか生きる時間を全うできないと考えていた。
今も、もちろんその考えは変わっていない。
だから、50まで生きるのが、ボクの目標だ!

しかし、それは未来が想像できない自分がいた。

アスペルガーやそれに伴う二次障害で見通しの立たないことは正直苦手である。
曖昧ながらも絵的なイメージがあれば、安定することは可能である。

発達の研究をしてきて、これは多くの人にも言える不安要素であろう。
ボクが幼少期にはまだ黒電話であった。

今では人とつながるには手紙ではなく、
LINEのような連絡に特化したSNSや近況を知るFacebookのようなSNSである。

時間の感覚は相対性理論があるように、感じ方はさまざまであるから、これはボクの見え方だけかもしれない。
でも、想像に欠けるは描けるであって、他の視点を必ず持っている。
言霊の考えをすれば当然だろう。

アニミズム的に考え方や霊的な考え方をする人もいるし、そのような非科学的なものを理解または受容することができない人もいる。
このような考え方は基本的には人に害を与えないが、ボクがここで述べたいのは懸命に生きるということだけだ。
おそらく、ボクは思考の中では50までしか生きない予想だが、結局はそれ以上の年齢を生きるだろう。

けれど、充実する生き方をするには常に懸命であることは大切だ。
だから、見える目標があるならそれに向かって突っ走ろうと思う。