近年のメンターの扱いについて

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近年のメンターの扱いについて

単なる相談者となっている。 相談者はアドバイザーのような言葉が適宜である。 本来、メンターは意味が深い。 だが、本来のメンターの言葉を活用している人は少ない。 もともとは教育の言葉であるが、現代ではマネジメントの言葉として復活している。 だが、それは大半本来の意味をないがしろにされている。 とりあえず、使う。 だが、言葉の意味を間違うのは本来恥ずかしいことなのだ。 それはまさにヨダレを垂らしながら寝ているようだ。 (ボクは恥ずかしくないが、枕が濡れているのがいただけない…。) こっそりいうと大学生の時にヨダレ垂れ流して寝ることを身につけてしまった。 恥ずかしくない人は多々いる。ここにもいる。 けれど、それは赤ん坊とおじいちゃんの特権だ。 メンターは確かに相談者の由来もなくはない。 ホメロスの叙事詩では、テレマッコスの家庭教師の名をメントールといったに始まる。 映画やドラマのおぼっちゃまの執事がメンターに当たっているといった表現がわかりやすいだろう。 そこの真の意味は、”師”にある。 ボクが言葉にこだわりを持っているのは、言葉を大切にしているからだ。 そして、生まれた意味を知れば、単なる記号も行動促進の素材となる。 ボクのメンターは”師”を意味する。 マネジメント用語のメンタリング・システムは言わば、究極の師弟論だ。


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ボクの名前、”Dr.Peace”

平和博士ではない。

”オイ!それは詐欺だ。”

あくまで、WEBで使っている名前だ。
このように顔も出している。

いずれ、本名を出したいところであるが、いずれのお楽しみとしておこう。

ボクの下の名前に由来しているとだけ、言っておこう。

学生時代から、使っていた。
かつては、二つWEBでは使っていたが、今年からは統一しようと思った。

NUNCLE(なんくる)という名義を使っていたのは、
もちろん沖縄の方言からきている。

けれども、
沖縄に来てこれほどたくさんの場所やモノ、店に使われていることから、
名前で埋もれてしまうということから、
ボクを知ってもらうには”Dr.Peace”の方がいいと判断した。

本来はなんかしらの表現の時、NUNCLE(なんくる)
学術的、研究名目の名義でDr.Peaceとしていた。

でも、本来名前はどうでもいいのだ。
正直、名前疲れ的なところもある。

まず、見てもらうには礼儀として本来は本名を使いたい。
だが、できない。
それが、ジレンマから始まっている。

さきほどはどうでもいいと言っているが、
理(ことわり)・義の考え方から行くならばとっても重要だ。
(ボクが投げやりになっているだけなのだ…)

いわば、”定義”となるからだ。

それ以上でも以下でもない。
それ自身をさすからだ。

名前、とっても重要に他ならない。

名前はじぶんを言葉で表す表現法の一種。
ここから、表現がスタートしていると言っても過言ではないだろう。