#007 ”ボクロン”すなわち「僕論」=「一人称論」

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#007 ”ボクロン”すなわち「僕論」=「一人称論」

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回りくどすぎるタイトルと思ったのではないだろうか?

ボクらは表現をして互いに感性を普段から、響かせている。

誰をさしているのか、同じ言葉でも人によっては不快に感じることはたくさんあるだろう。 

人は必ずしも悪気を持たれるような行動にはでない。

だが、普段から日常に言葉を扱うことは人にどのような影響を与えるのだろうか?

 

 

 

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バカにされた経験

これは感じ方ということで片づけてしまえばそれで終わる。

だが、人間の感情は素直だ。

バカにしているように見えなくても、実際にしているから事実なのである。
たとえ、その人が嫌だというフィルターを通しても、印象だとしても行為が伴えば、経験で記憶に焼きつく。

バカにされたのは感じ方で、大きく未来を左右させる。
バカにされた側は弱いとされるが、能力は受容力・傾聴力がある。

バカにした側はとにかく感覚的に面白いからで言葉にしている。
それ以外の感情であるだろうか…?

ボクは経験としてはない。

やりたいことから、感情のままに言うのは欲求における調整機関が壊れているとしていいようがない。
もしくは、成長過程で生成されなかった。
でも、人間社会では人を潰してのし上がるのは卑怯なことだ。

人は毎日競争の渦中にいる。
バカにされることもある。
それは大抵、決められた人に方向付けられてしまう。

その中での悔しさこそあれど、前進したくてもできない場合は誰かが手を差し伸べなくてはならない。
バカにされるものもその環境で満足することは決してないのだから。


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近年のメンターの扱いについて

単なる相談者となっている。 相談者はアドバイザーのような言葉が適宜である。 本来、メンターは意味が深い。 だが、本来のメンターの言葉を活用している人は少ない。 もともとは教育の言葉であるが、現代ではマネジメントの言葉として復活している。 だが、それは大半本来の意味をないがしろにされている。 とりあえず、使う。 だが、言葉の意味を間違うのは本来恥ずかしいことなのだ。 それはまさにヨダレを垂らしながら寝ているようだ。 (ボクは恥ずかしくないが、枕が濡れているのがいただけない…。) こっそりいうと大学生の時にヨダレ垂れ流して寝ることを身につけてしまった。 恥ずかしくない人は多々いる。ここにもいる。 けれど、それは赤ん坊とおじいちゃんの特権だ。 メンターは確かに相談者の由来もなくはない。 ホメロスの叙事詩では、テレマッコスの家庭教師の名をメントールといったに始まる。 映画やドラマのおぼっちゃまの執事がメンターに当たっているといった表現がわかりやすいだろう。 そこの真の意味は、”師”にある。 ボクが言葉にこだわりを持っているのは、言葉を大切にしているからだ。 そして、生まれた意味を知れば、単なる記号も行動促進の素材となる。 ボクのメンターは”師”を意味する。 マネジメント用語のメンタリング・システムは言わば、究極の師弟論だ。


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過去にすがるな。過去に学べ!

過去は繰り返されると言う言葉がある。 ファッションや流行りものにも、似通ったものが世の中に広がる時期というものがある。 基本的にはボクは同じものを作らないようにしている。 そのため、いろんな知識の蓄積もありはしたが、癖も含めてわすれるために時間をおく。 だから、忘却の時間は重要だと思っている。 もったいいないという人もいるだろう。 残るのは何か…。 当然だ。 僕の導いた答えは、エキスと体験だけは残るということだ。 どんなに素晴らしい知識も引き出せないくらいに使えなくなることもある。 でも、新たなことをやるためには決別をしなくてはならないこともある。 また、冒頭では「同じようなものはつくらない」と言っているが、 昔は過去の実績や自慢で塗り固めていた自分がいた。 その性格は今でも抜け出せない部分がある。 ならば、そうならない環境を自分で作る必要があった。 だから、ぬるま湯のようなコンフォート・ゾーンを打破し、過去はあくまでひとつの事実と捉える。 つまりは、データとすることだ。 数字には感情はない。だが、読み取り次第で感情が生まれる。 だが、人は選択をする。 ボクは精神衛生で長く続けられるかが大きく変わる。 長く同じ分野をしたいのであれば、環境が悪ければ離れる。 たとえ、そこにスキルや経済的なメリットがあれど、苦渋の選択をして離れる。 一番のリスクは”続けられないから”だ。 自分にとって売りになるものを手放すことはしなくてもいい。 だが、心はスキルや経済面に比べての比重が高い。 ボクは綺麗事に聞こえるかもしれないが、何かを表現することで商売している。 だから、そこを潰されてしまう根本的を失うほうが怖いからだ。 でも、ボクは気持ちの切り替えも含めて全く別のベクトルを表現しようとしている。 新たな気持ちで新たなアイディアを創出する。 ボクは面白いことはいつも突然に怒ると思って期待している。 だが、それは感じること。つまり、感性・感受性がなければならない。 過去から学ぶは実際は今から学ぶに他ならない。 でも、結局は今という時点を体感している人は過去を体験しているのだ。 今は過去の集合体。 だから、今をまず学ぶことが大切なのだ。