完成された文章

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完成された文章

ボクは人間的な文章は作れる。

ただし、人が求めるものとは限りなく遠くなる。
世の中には素晴らしく、文章を表現される方がいる。

ボクはかつてのコンプレックスから求められるものに応えようと努力したが、結局独自の目線となった文章がそこに残った。

もし、直したなら根本的に直すか、全て別人が書いたような介入が入ってしまう。

人の書かれた文章を活かす。
つまりは、推敲するスキルはないのだろうか?

ボクは文章が書けなくとも、推敲を基に文章を活かすことでできることに気づいた。
そこから、文章を書くことに還元。

まわりくどいが、結局はマネなのだ。

深く考える必要はない。
あなたの文章はもうできている。
ニュアンスの近い作家とで会うことが大切だ。
それは、本でもWEBでもいい。

まず、書く前に自分における良質な文章に出会おう。

いわば、違和感や読みにくい文章書くには、たとえ嫌いでも波長のいい、リズムのいい文章に出会う。

ボクも出会えることには時間がかかった上、なおかつ読み方と書き方を結びつけるのが困難だった。

本は人と同じぐらい大切な出会いとなる。

あなたの可能性は出会いから導き出される。


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リテラシーの課題

現代では、読解は生きていく上で大切なスキルである。
特に情報は正誤かや見た目のどこまで正しいのかや深さについてもわからなくてはならない。

情報で踊らされては生きられない世の中だ。

もちろん、文章だけではない。
しかし、一番抽象的なのは文章であることには変わらない。
文章だけ相手していてもどうしようもない。

一番情報が多いのは人対人のコミュニケーションです。
人にはたくさん会話のだけでなく、言語だけでなく、表情、ボディランゲージの部分、あとはこれまでの人間関係から得た情報に基づくことで日常の判断は続く。

つまり、リテラシーは読み書き能力。
そして、読み書き能力から読解能力。
最終的に判断能力を身につける。

これが現代に求められるリテラシーの課題。


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進化する鼓動

興味があれば、人間は動くか…。 物理的な動きはボクはないと思っている。 興味は言い換えれば、関心と同義である。 だれもが、羨んでも行動へと変わるものは欲求である。 しかし、この欲求は悪とされることがあるがゆえに表に出せないことがある。 ボクはそうだった。 まわりを気にしたこともあれば、協調を強制されれば物理的にできな環境となってしまう。 本当はしたい。 だが、できない。 それは、「いいわけだよ」と大人はいうことがある。 ボクはそこで大切なのはステップである。 つまり、手続きが大切な人もいるということを理解して欲しい。 一歩一歩進んでいる人に対して、妨害の他ならない。 特に無神経と呼ばれる人にはそれが該当する。 言われた側は、やるてはずがないと勝手に思われ可能性を潰される。 可能性があるのであれば、活かす方がいいに決まっている。 いくら綺麗事と言われようとこれは譲れない。 ボクは幾度となく可能性を潰された。 前進できたのはたまたま生きていたのと負けず嫌いなのと独創的な人間だからだ。 死んでいたら、成長はできない。 友だちは少なけれど、音楽が支えてくれることや先人の本の言葉によって支えられ糧として行動することができた。 本に関してはいずれ紹介していこうと思う。 音楽は非常に好みが反映されるため、人によい歌詞も紹介したいのだが、著作権的に今うるさいためできない部分がある。 ボクは非常に面倒くさがりなゆえ、そのあたりはここではがんばらないので悪しからず…。 可能性を潰すことはとっても簡単だ。 実際問題、可能性を活かしてあげるちょっとしたきっかけを与えれば、お互いに良い影響を与えられることは間違いないとボクは考えている。 みなさんはいかがだろうか?