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生きる時間

自分がこれに感じるのは幼少期からだろう。

恐れともなく、自分は50ぐらいまでしか生きる時間を全うできないと考えていた。
今も、もちろんその考えは変わっていない。
だから、50まで生きるのが、ボクの目標だ!

しかし、それは未来が想像できない自分がいた。

アスペルガーやそれに伴う二次障害で見通しの立たないことは正直苦手である。
曖昧ながらも絵的なイメージがあれば、安定することは可能である。

発達の研究をしてきて、これは多くの人にも言える不安要素であろう。
ボクが幼少期にはまだ黒電話であった。

今では人とつながるには手紙ではなく、
LINEのような連絡に特化したSNSや近況を知るFacebookのようなSNSである。

時間の感覚は相対性理論があるように、感じ方はさまざまであるから、これはボクの見え方だけかもしれない。
でも、想像に欠けるは描けるであって、他の視点を必ず持っている。
言霊の考えをすれば当然だろう。

アニミズム的に考え方や霊的な考え方をする人もいるし、そのような非科学的なものを理解または受容することができない人もいる。
このような考え方は基本的には人に害を与えないが、ボクがここで述べたいのは懸命に生きるということだけだ。
おそらく、ボクは思考の中では50までしか生きない予想だが、結局はそれ以上の年齢を生きるだろう。

けれど、充実する生き方をするには常に懸命であることは大切だ。
だから、見える目標があるならそれに向かって突っ走ろうと思う。


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暫定的なデザイン

正直言って、ボクはこのデザインは気に入っていない。 やはり、Expressionistとして表現したいものがある。 ただ、できないのはもどかしい。 ボクの頭にはいつもアイディアが豊富にあるが、それが実現できない。 ボクの能力の問題だ。 欲張りと言えばそうだが、この場所が一番基盤となると考えるのであればやはりしっかりしたものにしたいし、WEBに公開するわけだから人が見やすいものにしたい。 だから、Wordpressのテンプレートを時間をかけて作っていこうと思う。 記事のストックは現段階(2015/03/29)ではたくさんあるのだけれども、公開できてないのは実はデザインのせいなのだ。 ボクのこだわりなんだ。 めんどくさがりだが、やるときはやるし仕事はいつも120%ぐらいで臨む。 力が抜けないタイプだ。 別にWEBデザインを学んだわけでもない。 けれど、今は幸いなことに学習環境は整っている。 WEBに繋がっていれば、環境はあるはずだ。 デザインはセンスという誤った考えは必要ない。 (先天的に持っている方もいるが、それはGIFTだ。) ボクは学習における最適な方法を研究した。 コードやプログラムは苦手であるが、GUI系の想像やアイディアを出すことは得意だと思っている。 だから、現在は映像の分野にいるし、WEBの世界にも入ろうとしている。 ボクはいつでも限界突破の姿勢である。


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デザインとプラグイン

デザインを見やすいものにしようという意図だけで時間をかけてしまった。 これはボクのこだわりであまりかっこいいという意図よりも導線で軽く目に入ったらいいなぐらいの感覚で作っていたものののしっくりいくものがない…。 いいものがあっても、マージンが大きすぎて隙間が多すぎるような不格好になる。 悪くはないのだが、HTMLの知識が全くないわけではないので、自分で書いてみたほうが早いんじゃないということで、 画像のリンク場所とプロフィールのリンク場所を設定するコードを書いてあげた。 説明1 必要なものは、 一つ目のトップの自分の画像。 <center><img src=”画像の場所(url)” align=”center” width=”220″ height=”210″></center> センタリングするか左寄せ・右寄せは好みでしてみよう。 そして、 <a href=”http://drpeacelab.com/archives/66“>こちらへ</a> といった。 HTMLを普段から書いていないボクでもちょっと調べればできた。 これから、Wordpressを使う人にもちょっとし工夫でいろんなデザインができると思う。 まずは、ちょいいじりから始めよう!


謙虚さはどこから生まれる

謙虚さは感謝から生まれる。 感謝はどこから生まれる? それは、尊厳からだ。 一般によく使われるのが、リスペクト(尊敬)から来ているものだ。 しかし、尊敬は言葉だけでも表すことができるため。 感謝しているかどうかは行動や態度に大きく依存する。 本気で生きている人は独りよがりな人か謙虚さを持ち合わせた人の2パターンだと考えている。 ボクは言葉も大切にするが、それよりももっと行動を大切にする。 行動は雄弁という言葉があるように人の印象というのはとっても重要だ。 印象は人に受け入れてもらえるかどうか決め手となる。 つまり、謙虚さの表れは敬意を表すに他ならない。 感謝の行動があれば、自ずと生まれる。 まずは、ありがとうからはじめよう。


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過酷な環境で生きる戦士たちよ。

言ってしまって現在状況を知る方が大事。 ボクは、そう思っている。 日本人は恥だという考え、文化が定着してしまっている。 そのため、履歴書にも確かにできるとならなければ書かなくてはならない。   でも、ダメだと言うことだけではとっても簡単だが、現在の状況はわからないし、未来には繋がらない。 建設的に言うことは社会を育てる振る舞いとなる。 だが、社会は厳しいという文句で片付けられる。 もっと、社会を育てようという意識はないのだろうか? ボクは厳しさと冷たさはきちんと分化している。 厳しさは愛がつまっている。 そして、愛がつまっているということは、次に繋げられる。また、信用・信頼がなければできない。 本来は高尚な行為だ。 でも、社会でできる人は多くはいない。 経験や潜在的に身につく人もいるが、スキルで身につけなければならない人も多くいる。 それほど、本来は厳しいには意味がある。 冷たさってのは、ものすごく簡単なんだ。 コップに氷入れる。その行為だけで完了してしまう。 自分だけやひとりよがりの考え方が一番冷たさを蔓延させる。 ボクは教育の舞台に立とうとした人間だから、実感としてよくわかる。 イジメに愛はあるのだろうか? 否、ない。  


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進化する鼓動

興味があれば、人間は動くか…。 物理的な動きはボクはないと思っている。 興味は言い換えれば、関心と同義である。 だれもが、羨んでも行動へと変わるものは欲求である。 しかし、この欲求は悪とされることがあるがゆえに表に出せないことがある。 ボクはそうだった。 まわりを気にしたこともあれば、協調を強制されれば物理的にできな環境となってしまう。 本当はしたい。 だが、できない。 それは、「いいわけだよ」と大人はいうことがある。 ボクはそこで大切なのはステップである。 つまり、手続きが大切な人もいるということを理解して欲しい。 一歩一歩進んでいる人に対して、妨害の他ならない。 特に無神経と呼ばれる人にはそれが該当する。 言われた側は、やるてはずがないと勝手に思われ可能性を潰される。 可能性があるのであれば、活かす方がいいに決まっている。 いくら綺麗事と言われようとこれは譲れない。 ボクは幾度となく可能性を潰された。 前進できたのはたまたま生きていたのと負けず嫌いなのと独創的な人間だからだ。 死んでいたら、成長はできない。 友だちは少なけれど、音楽が支えてくれることや先人の本の言葉によって支えられ糧として行動することができた。 本に関してはいずれ紹介していこうと思う。 音楽は非常に好みが反映されるため、人によい歌詞も紹介したいのだが、著作権的に今うるさいためできない部分がある。 ボクは非常に面倒くさがりなゆえ、そのあたりはここではがんばらないので悪しからず…。 可能性を潰すことはとっても簡単だ。 実際問題、可能性を活かしてあげるちょっとしたきっかけを与えれば、お互いに良い影響を与えられることは間違いないとボクは考えている。 みなさんはいかがだろうか?


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この一歩から始まる。

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Category : Expression

どうも、Dr.Peaceと申します。 ボクが誰かって? そう、これから語るので慌てずに聞いてください。 映像や教育をコアにして語っていきたい。 ボクは大切なこと・伝えたいことが山ほどある。 だが、それには見てもらわなければならないこともたくさんある。 好奇心がありすぎて正直人生が足りないくらいだ。 でも、その中でボクなりに絞った・選んだ道がある。 いつでも全力だが、ここではゆるく生きたい。 だが、いつでも真剣だ。 力を抜くのが下手なのだ。 器用か不器用かというもので言えば、不器用だという言葉が典型的に似合う人間だ。 これもある種、天賦の才だと捉えている。 常に挑戦的であり、実験的である。 不器用だと何かと保守的になりがちだが、ボクは現状維持じゃ満足できないタイプだ。 これは、負けず嫌いな性格の表れと言っていいだろう。 ボクを形容する言葉はいくつかあるが、そのイメージはこれを見ている方が作り上げればそれでいいと思っている。