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完成された文章

ボクは人間的な文章は作れる。

ただし、人が求めるものとは限りなく遠くなる。
世の中には素晴らしく、文章を表現される方がいる。

ボクはかつてのコンプレックスから求められるものに応えようと努力したが、結局独自の目線となった文章がそこに残った。

もし、直したなら根本的に直すか、全て別人が書いたような介入が入ってしまう。

人の書かれた文章を活かす。
つまりは、推敲するスキルはないのだろうか?

ボクは文章が書けなくとも、推敲を基に文章を活かすことでできることに気づいた。
そこから、文章を書くことに還元。

まわりくどいが、結局はマネなのだ。

深く考える必要はない。
あなたの文章はもうできている。
ニュアンスの近い作家とで会うことが大切だ。
それは、本でもWEBでもいい。

まず、書く前に自分における良質な文章に出会おう。

いわば、違和感や読みにくい文章書くには、たとえ嫌いでも波長のいい、リズムのいい文章に出会う。

ボクも出会えることには時間がかかった上、なおかつ読み方と書き方を結びつけるのが困難だった。

本は人と同じぐらい大切な出会いとなる。

あなたの可能性は出会いから導き出される。


過去にすがるな。過去に学べ!

過去は繰り返されると言う言葉がある。 ファッションや流行りものにも、似通ったものが世の中に広がる時期というものがある。 基本的にはボクは同じものを作らないようにしている。 そのため、いろんな知識の蓄積もありはしたが、癖も含めてわすれるために時間をおく。 だから、忘却の時間は重要だと思っている。 もったいいないという人もいるだろう。 残るのは何か…。 当然だ。 僕の導いた答えは、エキスと体験だけは残るということだ。 どんなに素晴らしい知識も引き出せないくらいに使えなくなることもある。 でも、新たなことをやるためには決別をしなくてはならないこともある。 また、冒頭では「同じようなものはつくらない」と言っているが、 昔は過去の実績や自慢で塗り固めていた自分がいた。 その性格は今でも抜け出せない部分がある。 ならば、そうならない環境を自分で作る必要があった。 だから、ぬるま湯のようなコンフォート・ゾーンを打破し、過去はあくまでひとつの事実と捉える。 つまりは、データとすることだ。 数字には感情はない。だが、読み取り次第で感情が生まれる。 だが、人は選択をする。 ボクは精神衛生で長く続けられるかが大きく変わる。 長く同じ分野をしたいのであれば、環境が悪ければ離れる。 たとえ、そこにスキルや経済的なメリットがあれど、苦渋の選択をして離れる。 一番のリスクは”続けられないから”だ。 自分にとって売りになるものを手放すことはしなくてもいい。 だが、心はスキルや経済面に比べての比重が高い。 ボクは綺麗事に聞こえるかもしれないが、何かを表現することで商売している。 だから、そこを潰されてしまう根本的を失うほうが怖いからだ。 でも、ボクは気持ちの切り替えも含めて全く別のベクトルを表現しようとしている。 新たな気持ちで新たなアイディアを創出する。 ボクは面白いことはいつも突然に怒ると思って期待している。 だが、それは感じること。つまり、感性・感受性がなければならない。 過去から学ぶは実際は今から学ぶに他ならない。 でも、結局は今という時点を体感している人は過去を体験しているのだ。 今は過去の集合体。 だから、今をまず学ぶことが大切なのだ。


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脳が旬が一番、効果が高い。

「脳が旬」、魚や野菜位のように興味ややる気の時期が最高に適した時期である。

当然のことだ。
しかし、見極めと活かせている人はなかなかいない。

時間が合わないと言って、結局旬の時期を逃している。

そして、義務感が湧いてしなくてはならなくなる状況に追い込まれる。
つまりは、余計時間を奪われることになる。

「脳が旬」ということはミスが少なく、きちんと定着されやすい。

ボクはこのタイミングを見逃さないように、ボク自身を注視している。
器用でもなく、面倒くさがりである自分には、この効果を利用しない手はない。

ボクは正直やることが多いため、そして人にあまり頼れない環境ゆえ自分で体得しなければならない。

でも、リスクとしていつ来るかわからないということだ。
自分で作り出せないのだから、大変なのだ。


巨大で瞬発力のあるストレージ

YouTubePodcastで作品作りをしているYMRaidoさんのオーミネさんとtwitterで相談に乗っていただいた。

映像制作で周りに実際作っている人に出くわしたことがないため、全てにおいてリサーチはは不可欠だ。

ボクは映像を初めて3年目となる映像制作者なわけだが、まだまだ勝手がわからないこともある。

マシンのスペックも映像作りには欠かせないのだが、ストレージも大きな要素だ。
そこで、僕が検討したのは、こちらだ。

Promise Pegasus2 R4 か G−Tech
のThunderbolt2のストレージになるかなぁと考えて、
結局これになったという次第です。

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Pegasus2 R4だ。

もちろん、やすいと言えるものではない。
僕の覚悟の現れと言える。

だが、道具だけあっても制作はできない。
ここからが勝負だ。

仕事道具として大切に使わせてもらう。

ただし、注意が必要なことにこれも必要である。

 

 

 

 

 

 

海外製の電源となっているため、変換が必要となる。

もちろん、知恵とコストパフォーマンスのあるものを購入すれば、なんでもできる人もいるだろう。

だが、ボクは今後3DCGのアニメーションを作っていきたいと考えている。
だから、ボクの重い腰をあげるところもあって、少し自分自身にプレッシャーを与えている側面もある。

セッティングが少々必要とのことだが、これについては後日まとめたいと思う。
多くの人は直接サポートセンターに連絡して対処しているようだ。


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オーディオは空気を作る

空気、つまりは雰囲気を作る。

近年でわかりやすいことを表すなら、「妖怪ウォッチ」、「アナと雪の女王」だろう。
また、ジブリの音楽も効果音もまさにそうだ。

ボクはいつの間にか、その空気に入ってしまったものは、
最高の音楽・音がなんだろうと思っている。

素晴らしいものは、違和感を感じさせない。
でも、新しい。

今回本格的なヘッドフォンを購入した。
音楽を楽しむためではなく、レコーディングをすることが主な用途である。

箱がある意味、偉大である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
AKGのK712PROである。

実は、視聴はしていない。
沖縄に、AKGのモニターヘッドフォンを置いてあるところはほぼ皆無なのだ。

候補はSENNHEISERやSHUREの選択肢もあったのだが、
お値段が非常に高価であったため、こちらを購入。

一般にSONYのモニターヘッドフォンが定着しているが、それは候補になかった。
かつてレコーディングでしようした、コンデーサーマイクのAKGのすばらしさから、音に対して素晴らしい企業なのではという期待が強かったからだ。

参考にさせてもらったのは、この方の動画

つまり、音質は皆無だ。
ある種のブランド志向とも言える。

唯一わかっているのは、ドイツ製であること。
ボクのイメージはドイツとは職人の国だと思っている。

また、ボクは難聴があるため、音の困難さをなくすため今できる最大の努力をした選択とも言える。
未知数なものをレビューすることは、単なるイメージを口走っているだけだ。

だから、内容についてはまた後日公開しよう。


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リテラシーの課題

現代では、読解は生きていく上で大切なスキルである。
特に情報は正誤かや見た目のどこまで正しいのかや深さについてもわからなくてはならない。

情報で踊らされては生きられない世の中だ。

もちろん、文章だけではない。
しかし、一番抽象的なのは文章であることには変わらない。
文章だけ相手していてもどうしようもない。

一番情報が多いのは人対人のコミュニケーションです。
人にはたくさん会話のだけでなく、言語だけでなく、表情、ボディランゲージの部分、あとはこれまでの人間関係から得た情報に基づくことで日常の判断は続く。

つまり、リテラシーは読み書き能力。
そして、読み書き能力から読解能力。
最終的に判断能力を身につける。

これが現代に求められるリテラシーの課題。


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Dyslexia(ディスレクシア)タイプの宿命

ボクは本を読むのが非常に早かった。
なぜなら、文字の認識を早くできなかったから、読めるところが限られていたのだ。

つまり、人間関係でも理解できるところが限られていた。
やはり、言葉通して人間関係を考えることが社会では多い。

ボクは小学生の時は”ひらがな”が主だったため、読みた実感があるが漢字が入ってくると次第に読み無くなっいった。
そして、音読では間違えたくなくても毎日のように間違える。
当時は、発表が好きだったため、ADHDの特性である部分の多動の部分と多注意の部分が入り混じっていても気づかれることがすくなかったが、音読の間違いはそれで気づかれにくかったのだろう。

ボクは中学から文章が読めない。
つまり、教科書の内容がわからなくなり、どうしても本から離れざるを得なくなってくる。
しかし、知識問題である漢字の読みだけは確実なものにした。
当時は問題に反抗し、先生に問題の回答と逆の答えを言ったのを覚えている。
自分の理解は人と相反するかのように思えてならなった。

しかし、中学のあるときから、自分は人と合わせることが困難になり、自分なりの道を模索し始める。

ディスレクシア、つまり識字障害。
読み書きや文字の認識ができない。
なかには、国語力での内容が把握できないため、理解が難しいため協調したくても、その過程が現状理解されない。

近年、認識は増えたが、理解は未だに進まない。

いわば、根性論ではなんの解決にもならないのだ。

ボクはこの場では端的に表す。
認知→理解→支援(行動)
となります。

そして、ボクは文章を書くことが、PCを得るまでまともに書けなかった。
もちろん、1文は書けるが、それをつなげることができなかったのだ。
従って、文章にはならなかったのだ。

今でこそ、人並みに書けるようになったが、本当に書けなかったので人の添削だらけの文章で自分の表現じゃないと感じていた。

今もまだ自分の表現には納得していないが、日々精進している。
全て完璧は難しい。

ディスレクシアはLDの核的な要素を持つ発達障害の特性である。
だから、取り除くことはできない。

解決すべきは、学習環境に他ならない。
大人になるまで、その環境にではなければ、社会適応はできない。
つまり、ディスレクシアの人がいくら努力しようが学習方法を身につけなければ、意味はない。
負の社会遺産を作り出してしまうのだ。

教育者に一手を任せるのではなく、理解し支援する人が増えれば、社会の遺産は大きく拡大する。


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明日やろうはバカやろう。

そんな言葉が学生時代に流行った。

シンプルに言えば、仕事を溜めれば日々の圧迫感は蓄積する一方だ。
だから、時間はあるから明日やろうという考え方は仕事を溜めていく習慣を作っていると言っていいだろう。

今やれることは今やる。

アングルを変えれば、今やらなければいつやる。
今を大事にしないで、いつを大事にするという考え方を持とうということだ。

大事なことや大切なことを行動に移せないことがある。
人は必要に迫られなければ、行動できない。
非常事態にしか行動できないというステレオタイプ(固定観念)があるからだ。

でも、ボクは非常事態にしかできないということはないという考えは必要ない。
今の現状に満足せず、成長しようと心がけている貪欲さを持とうとしている肯定的な意識は大切だ。

ボクは今できない環境をこの3ヶ月ぐらい苦しんでいたが、習慣を変えてできるようにした。
それは、本来僕の生活サイクルである。
夜型から朝型へ変えたのだ。

このスタイルに変えたのは、おそらく小学生以来のサイクルに戻れたような気がする。

今はどうしてもAfter Effectsのようなツールを使いこなさなければために、時間を要する。
そして、頭ができるだけ入りやすい環境にしなければ、アウトプットは必然としてできない。

今やるとしてもできる環境を作らなければいけない。
そして、脳が適した環境を見つけなければならない。
今の環境を逃げるような体験をしたとしても本質的に目的を達成るなら、今の行動は絶対に必要となる。

こんなに考えても端的にしか捉えられられないのが、世の常。
だから、自分の行動を大切にしよう。
一歩一歩が自分の目的を達成するチャンスとなるのだから。


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ボクの名前、”Dr.Peace”

平和博士ではない。

”オイ!それは詐欺だ。”

あくまで、WEBで使っている名前だ。
このように顔も出している。

いずれ、本名を出したいところであるが、いずれのお楽しみとしておこう。

ボクの下の名前に由来しているとだけ、言っておこう。

学生時代から、使っていた。
かつては、二つWEBでは使っていたが、今年からは統一しようと思った。

NUNCLE(なんくる)という名義を使っていたのは、
もちろん沖縄の方言からきている。

けれども、
沖縄に来てこれほどたくさんの場所やモノ、店に使われていることから、
名前で埋もれてしまうということから、
ボクを知ってもらうには”Dr.Peace”の方がいいと判断した。

本来はなんかしらの表現の時、NUNCLE(なんくる)
学術的、研究名目の名義でDr.Peaceとしていた。

でも、本来名前はどうでもいいのだ。
正直、名前疲れ的なところもある。

まず、見てもらうには礼儀として本来は本名を使いたい。
だが、できない。
それが、ジレンマから始まっている。

さきほどはどうでもいいと言っているが、
理(ことわり)・義の考え方から行くならばとっても重要だ。
(ボクが投げやりになっているだけなのだ…)

いわば、”定義”となるからだ。

それ以上でも以下でもない。
それ自身をさすからだ。

名前、とっても重要に他ならない。

名前はじぶんを言葉で表す表現法の一種。
ここから、表現がスタートしていると言っても過言ではないだろう。


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Conecting the Dots

Conecting the Dots を大切にするわけ

これは、ジョブズがスタンフォード大学スピーチの中で語ったフレーズだ。

ボクは耳が悪いのもあり、これまで ”dot to dot ”というものだと思っていた。
でも、意味的にはあっているような気がする。

バカボンのパパなら、 ”これでいいのだ。”と許してくれそうだ。

細かいところを考えるなら。
繋がっているかということである。

Conecting the Dots の考え方

言い方は人それぞれあるから、
ボクはあえてジョブズの言った言葉を使うかもしれないし、
ボクが聞こえた簡単な方を使うかもしれない。

意図しているのは、過去の事象や結果は全て現在を作り、そして未来をどう作るかは現在にかかっている。

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全ては”繋がっている”ということだ

自分たちの今は様々な環境に左右されながらも選択した結果だ。

ボクはここで大切だと思っているのは、
自分は今「どこにいる。」ということを把握することだ。

そしたら、前進する方法は自ずと導かれる。
自分で本当の”選択”ができる。

実力があると言えるのは、”選択”ができる時である。
しかし、それまで”失敗”したという”結果”がある。
”結果”は失敗の印象だとマイナスである。

実際は、ひとつの点が結果であると捉えるのである。
つまりは、”結果=事実”でしかない。
だから、プラスもマイナスもない。ただの点である。

だが、ここで理解して欲しいのは”正しい評価で点の場所”を把握することが重要だ。

その点をたくさん打つんだ。
そしたら、たくさんのデータが集まる。

いいことは使い回しした方がよい

そして、自分なりに系統立てカテゴライズする。
これは、できるだけ意識下でやると後々の効果は高い。
なぜなら、つなぐ方法がわかるような状態の方が汎用性がある。

点はいわば、できた結果の集合体となる。
端的な表現であるが、見えやすいのは”できた”という跡が残りやすい。だから、これまでの失敗も含めることも大事だ

ボクはこの考え方で今前進している。
現時点では非常にあっている。
これにおいては効率も非効率も考えることは難しいが、
これより良質の考え方があるのであれば紹介して欲しい。

これ以上の考え方があるのであれば、紹介して欲しい。
ボクは今以上に成長する。
だが、成長だけが大切なことではない。
今のままでいい。それも忘れないで、前進することを。