人生に早送りはない

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人生に早送りはない

もちろん、チャプターの次へ飛ばすこともできない。

いわば、それはデジタルの概念だ。

人間の行動はアナログでしかない。
結果はデータであり、一つのデジタルに過ぎない。

過去や思い出においてはチャプターの考え方や想起されることはデジタルである。

この考え方はすでに古代ギリシャのアリストテレスの時代からある。

つまり、デジタルとアナログの概念はITの時代から始まったものではない。
行動を簡素化したところで、アナログである。

人間は過程を楽しむことが大切なのである。


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近年のメンターの扱いについて

単なる相談者となっている。 相談者はアドバイザーのような言葉が適宜である。 本来、メンターは意味が深い。 だが、本来のメンターの言葉を活用している人は少ない。 もともとは教育の言葉であるが、現代ではマネジメントの言葉として復活している。 だが、それは大半本来の意味をないがしろにされている。 とりあえず、使う。 だが、言葉の意味を間違うのは本来恥ずかしいことなのだ。 それはまさにヨダレを垂らしながら寝ているようだ。 (ボクは恥ずかしくないが、枕が濡れているのがいただけない…。) こっそりいうと大学生の時にヨダレ垂れ流して寝ることを身につけてしまった。 恥ずかしくない人は多々いる。ここにもいる。 けれど、それは赤ん坊とおじいちゃんの特権だ。 メンターは確かに相談者の由来もなくはない。 ホメロスの叙事詩では、テレマッコスの家庭教師の名をメントールといったに始まる。 映画やドラマのおぼっちゃまの執事がメンターに当たっているといった表現がわかりやすいだろう。 そこの真の意味は、”師”にある。 ボクが言葉にこだわりを持っているのは、言葉を大切にしているからだ。 そして、生まれた意味を知れば、単なる記号も行動促進の素材となる。 ボクのメンターは”師”を意味する。 マネジメント用語のメンタリング・システムは言わば、究極の師弟論だ。


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完成された文章

ボクは人間的な文章は作れる。

ただし、人が求めるものとは限りなく遠くなる。
世の中には素晴らしく、文章を表現される方がいる。

ボクはかつてのコンプレックスから求められるものに応えようと努力したが、結局独自の目線となった文章がそこに残った。

もし、直したなら根本的に直すか、全て別人が書いたような介入が入ってしまう。

人の書かれた文章を活かす。
つまりは、推敲するスキルはないのだろうか?

ボクは文章が書けなくとも、推敲を基に文章を活かすことでできることに気づいた。
そこから、文章を書くことに還元。

まわりくどいが、結局はマネなのだ。

深く考える必要はない。
あなたの文章はもうできている。
ニュアンスの近い作家とで会うことが大切だ。
それは、本でもWEBでもいい。

まず、書く前に自分における良質な文章に出会おう。

いわば、違和感や読みにくい文章書くには、たとえ嫌いでも波長のいい、リズムのいい文章に出会う。

ボクも出会えることには時間がかかった上、なおかつ読み方と書き方を結びつけるのが困難だった。

本は人と同じぐらい大切な出会いとなる。

あなたの可能性は出会いから導き出される。


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脳が旬が一番、効果が高い。

「脳が旬」、魚や野菜位のように興味ややる気の時期が最高に適した時期である。

当然のことだ。
しかし、見極めと活かせている人はなかなかいない。

時間が合わないと言って、結局旬の時期を逃している。

そして、義務感が湧いてしなくてはならなくなる状況に追い込まれる。
つまりは、余計時間を奪われることになる。

「脳が旬」ということはミスが少なく、きちんと定着されやすい。

ボクはこのタイミングを見逃さないように、ボク自身を注視している。
器用でもなく、面倒くさがりである自分には、この効果を利用しない手はない。

ボクは正直やることが多いため、そして人にあまり頼れない環境ゆえ自分で体得しなければならない。

でも、リスクとしていつ来るかわからないということだ。
自分で作り出せないのだから、大変なのだ。


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Conecting the Dots

Conecting the Dots を大切にするわけ

これは、ジョブズがスタンフォード大学スピーチの中で語ったフレーズだ。

ボクは耳が悪いのもあり、これまで ”dot to dot ”というものだと思っていた。
でも、意味的にはあっているような気がする。

バカボンのパパなら、 ”これでいいのだ。”と許してくれそうだ。

細かいところを考えるなら。
繋がっているかということである。

Conecting the Dots の考え方

言い方は人それぞれあるから、
ボクはあえてジョブズの言った言葉を使うかもしれないし、
ボクが聞こえた簡単な方を使うかもしれない。

意図しているのは、過去の事象や結果は全て現在を作り、そして未来をどう作るかは現在にかかっている。

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全ては”繋がっている”ということだ

自分たちの今は様々な環境に左右されながらも選択した結果だ。

ボクはここで大切だと思っているのは、
自分は今「どこにいる。」ということを把握することだ。

そしたら、前進する方法は自ずと導かれる。
自分で本当の”選択”ができる。

実力があると言えるのは、”選択”ができる時である。
しかし、それまで”失敗”したという”結果”がある。
”結果”は失敗の印象だとマイナスである。

実際は、ひとつの点が結果であると捉えるのである。
つまりは、”結果=事実”でしかない。
だから、プラスもマイナスもない。ただの点である。

だが、ここで理解して欲しいのは”正しい評価で点の場所”を把握することが重要だ。

その点をたくさん打つんだ。
そしたら、たくさんのデータが集まる。

いいことは使い回しした方がよい

そして、自分なりに系統立てカテゴライズする。
これは、できるだけ意識下でやると後々の効果は高い。
なぜなら、つなぐ方法がわかるような状態の方が汎用性がある。

点はいわば、できた結果の集合体となる。
端的な表現であるが、見えやすいのは”できた”という跡が残りやすい。だから、これまでの失敗も含めることも大事だ

ボクはこの考え方で今前進している。
現時点では非常にあっている。
これにおいては効率も非効率も考えることは難しいが、
これより良質の考え方があるのであれば紹介して欲しい。

これ以上の考え方があるのであれば、紹介して欲しい。
ボクは今以上に成長する。
だが、成長だけが大切なことではない。
今のままでいい。それも忘れないで、前進することを。


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生きる時間

自分がこれに感じるのは幼少期からだろう。

恐れともなく、自分は50ぐらいまでしか生きる時間を全うできないと考えていた。
今も、もちろんその考えは変わっていない。
だから、50まで生きるのが、ボクの目標だ!

しかし、それは未来が想像できない自分がいた。

アスペルガーやそれに伴う二次障害で見通しの立たないことは正直苦手である。
曖昧ながらも絵的なイメージがあれば、安定することは可能である。

発達の研究をしてきて、これは多くの人にも言える不安要素であろう。
ボクが幼少期にはまだ黒電話であった。

今では人とつながるには手紙ではなく、
LINEのような連絡に特化したSNSや近況を知るFacebookのようなSNSである。

時間の感覚は相対性理論があるように、感じ方はさまざまであるから、これはボクの見え方だけかもしれない。
でも、想像に欠けるは描けるであって、他の視点を必ず持っている。
言霊の考えをすれば当然だろう。

アニミズム的に考え方や霊的な考え方をする人もいるし、そのような非科学的なものを理解または受容することができない人もいる。
このような考え方は基本的には人に害を与えないが、ボクがここで述べたいのは懸命に生きるということだけだ。
おそらく、ボクは思考の中では50までしか生きない予想だが、結局はそれ以上の年齢を生きるだろう。

けれど、充実する生き方をするには常に懸命であることは大切だ。
だから、見える目標があるならそれに向かって突っ走ろうと思う。


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この一歩から始まる。

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Category : Expression

どうも、Dr.Peaceと申します。 ボクが誰かって? そう、これから語るので慌てずに聞いてください。 映像や教育をコアにして語っていきたい。 ボクは大切なこと・伝えたいことが山ほどある。 だが、それには見てもらわなければならないこともたくさんある。 好奇心がありすぎて正直人生が足りないくらいだ。 でも、その中でボクなりに絞った・選んだ道がある。 いつでも全力だが、ここではゆるく生きたい。 だが、いつでも真剣だ。 力を抜くのが下手なのだ。 器用か不器用かというもので言えば、不器用だという言葉が典型的に似合う人間だ。 これもある種、天賦の才だと捉えている。 常に挑戦的であり、実験的である。 不器用だと何かと保守的になりがちだが、ボクは現状維持じゃ満足できないタイプだ。 これは、負けず嫌いな性格の表れと言っていいだろう。 ボクを形容する言葉はいくつかあるが、そのイメージはこれを見ている方が作り上げればそれでいいと思っている。